ビジネスコンサルティングの現場から

各種ビジネス・コンサルティングに携わる担当者が、日頃、「考えている事」や「気が付いた事」を不定期に発信します。

「忖度は、一般の会社ならば正しい」に貴方は同意しますか?

忖度


安倍政権の運営において、色々と問題にされた「忖度(そんたく)」ですが、

忖度は、一般の会社ならば正しい

という意見を主張する人がいます。
皆さまは、この意見、どのようにお考えでしょうか。


結論から申し上げますと、民間企業においても、「忖度」が蔓延(はびこ)った場合、「(悪い意味で)笑うしかない」ような状態に繋がる事もあるのです。

興味を持って頂けた方は、ぜひ、最後までお読み下さい。


本題に入る前に、少しだけ回り道を。

実は、安倍政権のレガシー(遺産)の一つに、「忖度という言葉を有名にした」という事があるように思います。

今や、「忖度を知らない日本人はいないのではないか」というほどに、この言葉は普及しました(2017ユーキャン新語・流行語大賞にもなっています)。

そして、この「忖度」という言葉は、今後も使われ続けるように思います。

なぜならば、日本において、「忖度という言葉で表現したい状態」は、今後もなくならない事が予想される為です。

しかし、言葉が普及しすぎると、「忖度の是非」について検討する機会も失われていくように思います。

それが、このタイミングで「忖度」を取り上げる事にした理由です。


ここからが本題ですが、まず、忖度という言葉の定義を確認しておきましょう。

忖度=「自分なりに考えて、他人の気持ちをおしはかること。」

※新明解国語辞典 第七版

だそうです。


ここでは、若干、政治問題で騒がれていた頃のイメージも踏まえて、

忖度する=「相手から明確な指示を貰わなくても(または、明確な指示をしてしまうと相手が不味い場合であっても)、相手が本当はして欲しい事を推測して、実行してあげること」

とでもしておきましょうか。


行政(いわゆる公務員)が政治家に忖度して行動するのは問題とされています。これは、彼らが忖度した結果として「使われる力」が、法律などによって与えられたものであり、自由に使って良いものではないからでしょう。

しかし、これが一般の企業であれば、どうでしょうか。

一般の会社が、何かの行動をするのは自由です(法律などに反しない限り)。

ですから、会社の中の人が、自分の上司の事を忖度して、行動するのも問題がないように思えます。

むしろ、上司が部下の事を、

「この部下は、何も言わなくても、自分のやって欲しい事を先まわりして実行してくれる」

と話していたら、典型的な部下に対する褒め言葉な気もします。

忖度という言葉に悪いイメージが付いてしまったので、堂々と言う人は少なそうですが、本音では、「会社においては、忖度こそが素晴らしい能力だ!」と、叫ぶ上司の姿も思い浮かびそうです。


でも本当に?

社内の皆が上司を忖度する会社は本当に正しい?


少し考えてみましょう。

「新入社員が、自分の直属の上司である係長の事を忖度している」

素晴らしい気がしますね。あ、係長という言葉にピンと来ない方は、会社における一番下の階級くらいに思っておいて下さい。

「係長が課長の事を忖度して仕事を頑張っている」

良いですね。

「課長が部長の事を忖度できているので、部長はスムーズに仕事が出来ている」

その課長は昇進は早そうな気がします。

このまま続けましょう。

「部長が担当の取締役の事を忖度して仕事をしている」

「新任の取締役が、常務や専務の事を忖度しているので、役員会がスムーズに終わる」

「常務や専務が、社長の事を忖度して、社長が気分を害さないように会社の運営をしている」

さて、違和感を感じた方はいらっしゃいますか?

もし、何も感じず、「この会社は素晴らしい会社だ」、と思われた方。

貴方は、日本の会社に毒されてしまっているかもしれません。それが悪い事とは言いませんが、少し、その事実は意識された方が良いかもしれません。


多くの方は、もう理解されていると思います。が、一応、逆方向から、かつ、少し意地悪に考えてみましょう。

「社長が、会社を潰すかもしれないような間違った事をやろうとしている」

「常務や専務は、社長のやりたい事を推察して、何も考えず、会社が潰れるかもしれない事を役員会で提案して、率先して賛成するつもりだ」

「部長は、担当取締役が考えている、会社にとって危ない計画を進めて行く為の計画を率先して練っている」

「課長は・・・」。もう良いですよね。

なお、経営者の方に、「これは間違いか」と聞かれれば、私は「間違いの定義によるでしょう」と答えます。

しかし、多くの方にとっては、「勘弁して欲しい」と感じる状態のはずです。


少し専門的な視点でコメントしますと、そういう「一人の(社長の)意見で全体が運営される会社」という制度を設計することは、労働者側の権利などを少しおいておけば、正式に実現は可能です。

ただし、多くの会社では、様々な人の意見が集約され、一人の間違いが会社の失敗にならないような制度が導入されています(もしくは、されている事になっています、と言った方が良いかもしれません)。

ですから、その「勘弁して欲しい」という感想は、「もっともな感想である」という事になります。


しかし、多くの人は、日頃から「忖度」をして(することを考えて)、仕事をしているのではないでしょうか。だからこそ、あの政治問題に、あれだけの注目が集まった、という面もあると思います。

では、会社において、「どのような忖度なら正しいのか」「どこまでなら忖度すべきなのか」という線引きは、どう考えれば良いのでしょうか。

ここまで読んで頂いた方は、会社の中での「忖度の、どういう所が問題か」は、なんとなくでも感じて頂けている事と思います。

私自身は、前述の「忖度の連鎖」を、それぞれの会社なりに考えて頂き、会社ごとに最適解を検討して頂ければ良いと思っています。

経営者が変わったら、「その会社の忖度に関する方針」が変わっても良いとすら思います。

問題は、そういった「自社の忖度に関する検討や見直し作業」すら、誰かが誰かに「忖度」して、行われない事ではないでしょうか。

皆様の会社では、どうですか?