前回は、「自分の子供がゲームに夢中なのは、教育上も素晴らしい」という考え方を持っている親について紹介しました。
この経緯は、前回のブログをお読み下さい。
その話を聞いた時、私は、絶望にも近い気持ちを抱きました。
その親が、そのように考える根拠こそ理解できたものの、あまりに短慮な教育方針であると感じられたのです。
しかし、その後、良く考えてみると「その親の事を、単純に非難できないかもしれない」と思えてきてしまったのです。
今回は、その辺りのお話を。
私が、「ゲームに夢中になっていることが、自分の子供の将来に繋がる」と単純に考えてしまっている親の事を非難できないな、と思った理由。
それは、仮に、「今の子供に、どんな教育を受けさせるべきか?」と聞かれた場合、
「どれだけの人が(私も含めて)、『子供にとって正しい教育とは何か』という事を自信を持って答えられるのだろうか」
という事について考え込んでしまった為です。
もちろん、昔から、そういった問に答えはないでしょうし、親であれば、みな、苦しんできた内容でしょう。
しかし、昨今は、特に世の中が急激に変化しています。
それに対応したかたちで、この問について十分に検討し、そして、答えを出せている人は、どの位いるのでしょうか。
もし、その答えを自分達なりに出せていないのであれば、この親の事を笑えないのではないか…、と、ふと思ったのです。
もちろん、そうは言っても、今まで通り、学校で習う学習をしっかりやる。
その中で、知識を深め、様々な行動に関する能力を高める。
そういった事に間違いはないでしょうし、聞かれたら、私もそれを勧めるでしょう。
ただし、私が現役の学生であった頃ですら、学校のカリキュラムに疑問は持っていたものです。
特に、昨今は様々な技術が発達し、多くの仕事が機械に代替されるのではないか、と騒がれています。
そうした環境変化に対応したかたちで、「次の世代が何を勉強すべきなのか」という事は、どこまで真剣に考えられているのでしょうか。
この点については、少し立ち止まって、もう少し真剣に考えてみる必要があるように思ったのです。
子供の教育方針については、ある程度、親に任されるべしょう。
それを逆手にとって、「子供に何を教えるべきか」という事を、親の責任にしてしまう事は簡単です。
しかし、経営に携わり、「現在、企業において、どのような人材が求められているのか」という事を知っている私達ですら、その答えを持ちあわせていないのに、全ての親に、それを押しつけるのは酷というものでしょう。
であれば、私達のような、少なくとも、企業の最新状況を比較的理解している人たちが、必死に「今後の日本で、どんな人材が求められるか」という事を考えるべきなのでしょう。
そして、そういった検討結果を教育に詳しい人間が受け取って、さらに検討を加え、いくつかの「求められる人材像」「子供に受けさせるべき教育」といったモデルを、全ての親に提案出来るようにしていくべきなのでしょう。
そうして用意されたモデルを参考に、それぞれの子供の親が、自分の子供にあったモデルを選んだり、独自の教育方針を考えたりしていく事が出来れば、状況は少しは改善するかもしれません。
それが、私達、今、出来る事であり、また、やらなければならない事であるように思われます。
今回は、少し歯切れの悪い結論で申し訳ありませんが、ある一人の親の短慮を責めるつもりが、なかなか深い話になってしまいました。