カフェに入った所、ある「節電への取り組み」が行われていました。
その「節電への取り組み」が、ちょっと極端なものであった事もあり、同行者から賛否両方の意見が出ましたので、ご紹介させて頂こうと思います。
「自分なら、どのような感想を抱くだろうか」と考えながらお読み頂ければ、と思います。
そのカフェでは、ちょっと極端な「節電への取り組み」が行われていました。
そのカフェに入ったのは夜なのですが、なんと、客席の電気が、ほぼ全て消されていたのです。
※小さい電気は付いており、手元や足元が十分に見える程度の明るさは維持されていました。また、調理スペースなどは、普通に電気が付いていました。
最初、何か電気関係のトラブルでもあったのかと思い、
「暗いですが、何かトラブルでもあったのですか?」
と店員に聞いてしまったほどです。
しかし、店員から、
「節電に協力する為に、客席の電気を消しています」
という説明を受け、ようやく、その暗闇が「節電への取り組みによるもの」である事が解ったのです。
幸い、少し休憩する為に入っただけでしたので、私達は短時間、その暗闇の中で静かにドリンクを飲み、そのカフェを出る事にしました。
ちょっと不便ではあったものの、それほど不便な思いをする事もなかったのです。
しかし、です。
カフェを出る時に、改めてまわりを見回してみると、そのカフェの客の多くは驚くべき過ごし方をしていました。
同行者も、それに驚いたらしく、その節電への取り組みの是非について、ちょっとした議論が始まったのです。
A「あのカフェの取り組み、失敗なんじゃないでしょうか。」
B「私もそう思います。」
C「そうですか?今夏も電気の需給は厳しいようですし、節電への取り組みは大事だと思います。良いカフェじゃないですか。」
A「いやいや。少なくとも、あのカフェの客を見る限り、失敗でしょう。」
C「どういう事ですか?」
A「見たでしょ?ほとんどの客は、あの暗い中で、何らかの作業をしていましたよ。」
B「凄いですよね。あの暗い中で本を読んでる人もいたし、パソコン作業している人も多かった。」
C「それがなにか?」
A「作業する為に来ている人が多いなら、電気を暗くしちゃだめでしょう。暗い所で作業すると目に悪いという話もありますし。そのような節電が正しいとは思えません。」
C「でも、それは客の行動であって、店が、そこまで気を遣う必要はないのではないでしょうか。」
A「確かに、そういう面はあるけれども、客に負担をかけすぎでしょう。客のニーズに応えていない気がします。」
B「そもそも、あれでは、あまり節電の意味はないのでは?」
C「どういう事ですか?」
B「まず、電気の需給が厳しくなるのは、基本的に夜ではないのですよ。ですから、夜に節電を心がける必要は、あまりないのですよ。」
A「原発の状況が変わっていますし、蓄電池の普及も多少は進んできたので、昔とは少し事情が違ってきてはいるかもしれません。しかし、それでも、夜に電気使用量を気にする必要性は低いでしょうね。」
B「それに、あの店では暗かったけれども、エアコンは良く効いていた。本気で節電する気があるのであれば、エアコンも調整しないと。」
A「夏場にエアコンの温度を上げると、狭い店内のカフェだと臭いの問題も出ますから、なかなか難しいとは思いますけれどもね。」
B「そうかもしれないけれど。どちらにせよ、夜にカフェの電気を消すという節電の考え方に賛成はしかねるな。」
C「客に節電を考えて貰うきっかけを与える、といった意味はあるのではないでしょうか。色々と検討した結果、あのカフェで出来る節電への取り組みとしては、あれくらいしかなかったのかもしれないですし。」
B「確かに、そういう意味はあるかもしれないけれどね。それでも、客に過度な負担をかけるような節電はどうかと思いますね。」
C「もしかすると、あのカフェの常連の方々は、そういう取り組みに参加する事を嬉しく思っているのかもしれませんよ。」
B「ちょっと同調はしかねるけれども、そういうものなのかね。」
C「客は店を選ぶ権利がある訳ですから、きっと、あの店の常連の人達は、あの店のそういう活動にも参加したい人達なんですよ。」
A「確かにそうかもしれないけど、少なくとも、暗い所で作業するのは間違っていると思いますが…」
色々な意見が出そろって、話が終わりになりそうになった時、それまで静かにしていた、もう一人が呟きました。
D「少なくとも、あの取り組みで、あの店の電気代が多少なりとも安くなるのは確かだね。物価高騰のおり、ドリンクの値段を上げる代わりに、節電して電気代を節約しているのだとしたら、みんなはどう思う?」
ABC「…」
大きな節約効果があるとは思えませんが、もしかすると、きっかけは、案外、そんなところだったのかもしれません。
一つの「節電への取り組み」についても、見る人によって、様々な見方が出来る。
個人的には、それを面白く感じた一件でした。