ビジネスコンサルティングの現場から

各種ビジネス・コンサルティングに携わる担当者が、日頃、「考えている事」や「気が付いた事」を不定期に発信します。

「残業出来なくて可哀想だ」という年配者の意見を、真剣に考え直す

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そろそろ、研修で新入社員に会社の仕組みや制度を説明する会社が多い頃でしょうか。

昨今は、「残業は出来る限りするな」「規定の時間内に要領良く成果は出せ」といったメッセージを人事が発する会社が多いように思います。

今の新入社員(と、一定年齢までの若手社員も、でしょうか)は、それが当たり前だと思っていることでしょう。

しかし、ご存じの方も多いと思いますが、今、大手企業で役職についている位の年齢の方々にとっては、それは、全くもって「当たり前ではない」ことなのです。

なぜ、昨今、そういった事が言われるようになったのか、という点については、メディアでも散々取り上げられていますし、皆様も、ご自身の意見があると思いますので、ここでは取り上げません。

それでも、この残業という話題を取り上げてみようと思ったのは、先日、ある年輩の方から言われた一言がきっかけでした。

それは、

「最近の若者は残業が出来なくて可哀想だ」

というものでした。

 

この一言で、昔、残業削減という事がメディアなどで取り上げ始められた頃の議論を思い出しました。同じような意見を何度か聞いた事があったのを思い出したのです。

そして、そうした時代を知らない方の為に紹介しておくのも良いかもしれない、と思ったのです。また、昔の時代を知っている人の中には、「残業」に関する認識を見直す事もなく、現在に至っている人が少なくないであろうことにも気づきました。

この為、「今」という時代を前提として、「あの頃の当たり前を考え直すとどうなるのか」、という事について書いてみても良いな、と思ったのです。

 

なお、この話題を続ける前に、誤解がないように、ハッキリと書いておきますが、この内容は残業を推奨している訳では全くありません。また、現在の「残業を減らそう」という動きに反対している訳でもありません。

業務を効率化して残業を減らす事には大賛成です。過度な残業で健康を害する方がいらっしゃる事は良く理解しておりますし、社員に過度な残業を強いるような環境の職場がある(あった)事も良く理解しています。

悲劇を避ける為にも、対策は取られていくべきだと思いますし、日本企業においては、少し、やり過ぎな位に残業削減に取り組まないと結果が出ないとも思います。

これ位しっかりと書いておけば、ここで書いた内容が誤解されたり、曲解され、想定外に使われたりする事は防げるでしょうか。

また、昔を知っている方にとっては、少し説明が冗長と感じられるかもしれません。この内容は、昔を知らない方も対象としていますので、その点もご容赦下さい。

 

さて、話を戻します。

「最近の若者は残業が出来なくて可哀想」という意見は、どこから来るのでしょうか。

少なくとも、「残業が出来た方が、残業する本人にとってメリットがある」という分析が、そういう意見の裏側にある事は間違いないでしょう。

 

では、残業する(残業出来る)ことによるメリットとは?

①お金が稼げる
②効率的に仕事をしなくても許される

他にもあるかもしれませんが、私のまわりで、昔、騒がれていたのは、この2点だったと記憶しています。

ちなみに、「職場に長くいられる」といった点をメリットとして挙げる人もいました。これは、解る人には解るでしょうが、今年の新入社員からしてみれば、「意味不明」かもしれませんね。この点についての検討も、ここでは省きます。

 

①は、いわゆる「残業代」というものです。残業すると、決められた給与に上乗せされてお金が貰えます。残業した時間と、会社によっては、結構な金額が毎月上乗せされて支払われる事が当たり前になっていました。

そして、そうした状態が長く続いた結果、残業代がかなり上乗せされた額を、実質的な給与と認識していた人は少なくなかったのです。

しかし、残業削減(禁止)となると、貰える額は減ってしまいます。上乗せされた額で生活を組み立ててしまっていた人にとっては、本当に困る事態が予想されたのです。

もっとも、この問題は、最近の新入社員にはあまり関係ないでしょうね。最初から、上乗せされていない金額を生活の前提としているはずですから。

 

やはり、議論が熱くなる(なった)のは、②についてでしょう。

若い方に、この点についての感想をお聞きしても、ピンと来る方もいらっしゃれば、全く意味が解らない、というような反応をされる方もいらっしゃいます。

実は、「効率的に仕事をしなくても」という言い回しもポイントです。この「効率的に仕事をしない」という言葉からイメージするものが、人によってかなり異なります。

昔の仕事の仕方に悪いイメージを持っている方だと、

「頻繁にタバコを吸いに行って、同僚と雑談ばかりしている」

「電話で無駄話ばかりしている」

そして、仕事が進まない、というようなイメージを持っている方もいらっしゃいます。その結果、定時になっても帰れない、という理解ですね。

確かに、あまり良いイメージではないと思います。こうしたイメージだけだと、「残業が出来なくて可哀想」なんていう意見は、とんでもない暴論に過ぎない感じがしますね。

 

前置きが長くなりました。

実は、残業削減を議論し始めた頃、そして、真剣に残業削減に取り組もうと考えて議論していた時、私のまわりでは、前述の「無駄話や雑談の時間の無駄」は、それほど議論されていませんでした。

それは、それを必要と考える経営者にとっては、「本当に必要な時間」でしたし、不要と考える経営者にとっては、単に「削除して良い無駄」に過ぎませんでした。

その事と、「残業」の問題は、別ものだという認識が共有されていたからです。

良く、一緒にされる方がいらっしゃいますが、考えてもみて下さい。

これまで、残業だらけの会社を、「無駄に見える雑談」は今までと同じようにしっかりやった上で「定時で帰る」、ように変える。

別に、出来ない事ではありませんよね。

本題ではないので、簡潔に書きますが、雑談以外の作業量を落とすなり、雑談以外の作業を効率化するなりすれば、実現可能です。そういった議論を省くから、矛盾しているように感じるだけです。

それよりも、真剣に議論されていたのは、

「要領の悪い人は、どうすれば良いのだ」

という事だったのです。

 

会社には要領の良い人も悪い人もいます。

厳密に言えば、「今の部門の仕事に関しては」、または、「今、割り当てられている仕事については」、要領良く終わらせられない人がいます。

「要領の良い人」は、残業禁止にしても、一定の成果を上げる事が出来るでしょう。

しかし、「要領の悪い人」は、残業をしないと、会社が認める成果を出す事が出来ないのではないか。残業して、「要領の良い人」と同じ成果をあげる道を用意しておき、そういう道を本人が望んだ場合には、要領の悪い人でも、要領の良い人と同じように昇進し、会社にとどまる事が出来るようにすべきではないか、という考え方があったのです。

今、この説明を読まれて、皆様は、どのようにお感じでしょうか。

様々な感想があると思います。私も、どの意見が正しい、などと言うつもりはありません。

しかし、当時、「真剣に」、そして、ご自身としては、「若手社員の事を考えて」、こうした意見を持って悩んでいた管理職がいた事だけは、記しておきたいと思います。

心配されていた側の社員は考えもしなかったかもしれませんが、「要領の悪い社員が自殺しないだろうか」、といった心配まで聞いた事があります。

これが、「②効率的に仕事をしなくても許される」という事についての、本当の(私が、ここで取り上げる価値があると考える)意味です。

そして、もう一つの「①お金が稼げる」という点についてですが、この点についても、同様でした。前述の通り、残業出来なくなると、生活が苦しくなって、大変な事になってしまう若手社員が出ないだろうか、と真剣に悩む経営者はいたのです。

こういった話は、積極的に話そうとしない年配者も多いとは思います。しかし、出来れば、そういった事で悩んでいた人がいた事を、今の若い方にも知っておいて欲しい、とは思います。

 

さて、この文章も長くなってきました。

単に「若者は会社に遅くまで残っているべきだ」というような意見は論外として、ここで取り上げたような意見を今でも持っていて、若者の事を真剣に心配している経営者が今もいたとしましょう。

その経営者の考え方を、皆様はどのようにお感じでしょうか。同意されますでしょうか?

「以前から、自分もそう思っていた」

 

「今まで残業は悪だとしか思っていなかったが、残業の必要性を感じた」

そういった意見もあるかもしれません。

逆に、「全く、共感出来ない」、といった意見もあるでしょう。

何度も書きますが、この問題への意見は、人それぞれで良いと思います。また、会社によって異なっていても良いと思います。

しかし、上記で取り上げた意見を、今、改めて考える上でのポイントだけは、何点か紹介しておきたいと思います。

 

まず、「残業してでも、要領の良い人と同じ成果を出せる仕組みがないと、要領の悪い若手本人が困るだろう」という考え方には、

「同僚から遅れずに社内で昇進する事を、全員が望んでいる」

「自分が要領よく処理出来ない仕事でも、得意な人と同じように成果を出さなければならない」

といった前提があります。

また、「残業代が出なくなると、給与が下がって若者は困るだろう」という考え方には、
「その職場以外で、収入を得る事は出来ない」

「残業を得る以外に、その会社で収入を急上昇させる方法はない」

といった前提があります。

 

これらは、当時の多くの会社における検討を行う上では、「当たり前の前提」であったと思います。

しかし、これらの事情(前提)は、今でも本当に変わっていないのでしょうか。

勿論、状況が変わっていないケースもあるでしょう。しかし、検討する上での「当たり前の前提か?」と聞かれれば、私は疑問です。

少なくとも、昔の感覚だけをもとに「残業出来ないのは、可哀想」と若者に対して決めつけるのは、危険な気がします。

 

同時に、若者の側においても、単に「残業が出来ないのが当たり前」と感じているだけで良いのかどうか。

少なくとも、先ほど紹介した、若者の事を真剣に悩んでいた経営者は、「その会社の社員全員が、一生、その会社で十分な収入を得られ続けるようにする事」を、自分の責務だと信じて疑っていませんでした。

そして、若者に、そういった点について、何か考える責任を押しつけようとはしていませんでした。

もし、先ほど挙げた、検討する上での「当たり前の前提」が、崩れているのだとすれば、そういった経営者の覚悟もまた、今では「当たり前」ではないのかもしれません。

今の若者の皆様には、残業がない事で生まれた「仕事の後の自分の時間」を使って、しっかりと、こうした事についても考えて欲しい気もします。