ナッジという言葉をご存じでしょうか。
「人々の行動を誘導する為の方法」には昔から様々なものがありますが、このナッジも、その一つです。
ただし、このナッジ、今、世界中の公的機関(政府や官公庁など)が注目しており、日本においても活用が始まっているのです。
ナッジを簡単に説明すると
ナッジとは、
「人間の心理を誘導し、望ましい行動を取らせる」
という概念です。
すなわち、このナッジをうまく使われると、
「私たちの行動は、ナッジによって操られてしまう」
という結果になる訳です。
そして、ナッジ(nudge)とは「肘(ひじ)で軽く突く」や「そっと後押しする」という意味であり、「解りやすく強制や依頼している訳でもないのに、相手の行動を誘導できてしまう」所に特徴があります。
また、「行動を誘導」などというと少し怪しい概念と思われるかもしれませんが、実は、ナッジは立派な行動経済学の概念なのです。
このナッジのコンセプトを発表した学者の一人であるリチャード・H・セイラー教授は、後にノーベル経済学賞を受賞しています(2017年)。
ナッジの代表例
このナッジ、既に私たちの身の回りで多く活用されています。
代表例として良く取り上げられるのが、
「男性の小便器(トイレ)に描かれたハエの絵」
です。
男性の方であれば、過去、一度は見た経験があるのではないでしょうか。あれです。
女性の方はピンと来ないかもしれませんので、少し詳しめに説明します。
実は、男性トイレにある小便器の周り(特に床)は良く汚れています。
理由は、「(男性の)小便の着地点が、周りを汚さないで済むポイントから外れる事が多いから」です。
しかし、この問題に対して、単に、
「トイレを汚さないようにしましょう」
などと張り紙をしても、あまり効果はありません。
そこで、ナッジの出番となります。
ナッジでは、
「的(まと)があると、人は、そこを狙いたくなる」
という習性を活用します。
結果、ハエという意識せざるを得ない「的」を、目標にして欲しい所に描いておく事で、望ましい「行動(結果)」に誘導しているのです。
ここでのポイントは、
「ハエを狙って下さい」
とは指示していない事です。
自然に、そういう行動を起こさせるように誘導しているのです。
ハエを狙うかどうかは、トイレに来た人の自由です。
そして、当然、ハエに上手く当たったからと言って、何も貰えません。
あくまで、本人が「自然に、そういう行動を取ってしまう」ように誘導しているのです。
※アムステルダムの国際空港では、この手法によって、清掃費を80%も削減できたと言われています。
その他のナッジの活用例
その他のナッジが活用された例もご紹介しておきましょう。
<例①>
イギリスでは、納税率を上げる為にナッジを活用しました。
納税通知書に、同じ地域に住む住民の納税率を記載したのです(2010年)。
自分が所属する地域の納税率を見た住民の納税率は上がったと報告されています。
<例②>
次は、自動車事故防止の為のナッジ活用例です。
アメリカでは、ドライバーに、危ないカーブの手前でスピードを落とさせる為の工夫として、
「白線を車の進行方向に対して平行に、そして、等間隔で何本も引く」
という事を行いました。
ただし、「カーブの手前では、白線の間隔を狭くした」のです。
これによって、ドライバーが違和感を感じ、カーブの手前で、スピードを落とす効果を狙ったのです。
これに似た仕組みは、現在、日本でも取り入れられていますので、高速道路などで目にされた事がある方もいらっしゃると思います。
面白い応用例だと、規定の速度で走ると音楽が聞こえる道路舗装(メロディーロード)という取り組みもあります。
<例③>
ここからは、日本での活用例です。
日本では、薬剤費を抑える為にナッジが活用されました。
厚生労働省は、薬剤費を抑える為に、ジェネリック医薬品(後発医薬品)の割合を増やしたいと考えていました。
しかし、医師はジェネリック医薬品ではなく、先発医薬品と呼ばれる薬ばかりを処方してしまいます。
そこで、ナッジを活用する事にしたのです。
具体的には、処方せんのレイアウトを少し変更し、ジェネリック医薬品「以外」を処方する場合には、医師に一手間かけさせる事にしたのです。
レイアウト変更後も、医師が先発医薬品を処方する事は出来ます。
しかし、先発医薬品を医師が指定したい場合には、「後発医薬品への変更を不可」とする欄に署名または記名・押印させる事にしたのです。
これだけで、後発医薬品の普及に繋がったと言われています。
<例④>
最後に、新型コロナウイルス対策で注目されているナッジ活用例についても紹介しておきましょう。
皆さまも良くご存じの通り、様々な施設の入り口には、現在、消毒用のアルコールが置かれています。
しかし、ある施設のアルコール利用率は低いままでした(来訪者が使ってくれない)。
そこで、この施設では、来訪者のアルコール利用率を上げる為にナッジを活用しました。
とは言っても、「施設の入口から、アルコールの置かれた場所まで誘導する道(矢印)を地面に書いた」だけです。
来訪者は、そのルートを無視する事もできます。
しかし、導入後、アルコールを利用する人の割合は増えたそうです。
ナッジの特徴(他の手法と何が違うのか)
ここで、ナッジの特徴を確認しておきましょう。
・強制する訳ではなく、あくまで、誘導しているだけ
・誘導に従っても、金銭的な対価は用意されていない
このあたりの考え方が、広く受け入れられている理由だと言われています。
ナッジの悪用版であるスラッジ
このナッジは悪用する事も出来ます。
不要なものを買わせたり、適切な権利を行使できないように誘導したり、など。
こうしたナッジの悪用を、行動経済学の学者は「スラッジ(ナッジの逆)」と呼んでいます。
この悪用があるからこそ、人はナッジについて、もっと知っておくべきなのです。
日本でナッジを推進している団体
ちなみに、日本でもナッジを推進する為の事務局が設立されています。なんと、環境省に、です。
「日本版ナッジ・ユニット」という名前で2017年4月から運営されているのです。
ですから、この「ナッジ」という概念は、今後も多くの公的機関が意識するようになっていく、と予想されます。
私たちがナッジについて気をつけるべき事
「ナッジ」などと言う難しい言葉で説明されなくても、これまでも多くの企業は、「いかに顧客にモノを買ってもらうか」という事を考え続けています。
そのために、営業マンを教育し、また、DMのメッセージを研究してきました。
その結果は、皆さまも嫌というほど体感されているはずです。
もっとも、これまでの多くの営業行動は「企業の目的」が明確であった為、見破る事が容易でした。
しかし、ナッジは、「本人に、誘導されるメリットを意識させない」ところに特徴があります。
この為、従来の誘導方法よりも、「自分が誘導されている」という事が解りづらいのです。
また、企業だけではなく、公的機関(政府、官公庁、地方自治体など)が積極的に研究し、活用しようとしています。
こうした非営利目的での利用は、本人に「自分が誘導されている」という事を、更に解りづらくさせます。
社会的に「望ましい」と認識されている行動に誘導する為にナッジが活用されるだけであれば、大きな問題はないのかもしれません。
しかし、「自分が望まない選択はしない」という一線は守る為にも、自分の所に届く様々なメッセージには、「ナッジが活用されている」という事は知っておいて頂きたいと思います。